☆プロローグ☆
しょうとしゅんに会いたくて

“しょうとしゅんのふたご日記”を始めて2年半の月日が経ちました。
私と同じ様に小さく生まれた赤ちゃんをお持ちのお母さん方に
《こんなに小さく生まれてもこんなに元気に育ちますよ!》と
小さなエールを送りたくて妊娠〜現在までの日記を綴って来ました。
そして双子育児の楽しさも分かってもらえればと。

ただ1つだけいつか書かなきゃと思いつつも私の中の
いろんな想いが邪魔をして書けないでいた事があります。
それはしょうとしゅんを妊娠する前のお話です。


●赤ちゃんまだ?●

結婚して1年目 ダンナは「まだ子供はいらない」と言いました。
結婚して2年目 私は「まだ子供はいらない」と言いました。
結婚して3年目 2人とも「まだ子供はいらない」と言いました。

結婚して3年の月日が経ちました。
結婚=赤ちゃんが出来る
この方程式を信じて疑わない大人達は私達夫婦を攻め始めました。
「なんで子供が出来ないんだ。」
「子供の作り方知らないんじゃないか?」
「子供がいないなんて半人前だ」

まだ欲しくないからと思っていたのにこんな言葉を
浴びせられた私は少しずつ気持ちが焦り出しました。
赤ちゃんを産まなきゃおかしいの?
どうして赤の他人にこんな事言われなきゃいけないんだろう…。

追い詰められる様にして私は「赤ちゃん産まなきゃ。妊娠しなきゃ。」
そんな気持ちでいっぱいになって行きました。


妊娠したい。でも念の為に悪い所がないかどうか病院に行って診てもらおう。
そんな軽い気持ちで婦人科の病院へ行きました。
一通りの検査を終え結果は異常なし。ホッ、良かった。
「じゃあきっと近いうちに私の元にも赤ちゃんが来るわね」

ところがいつまで経ってもコウノトリは私の元へはやって来てくれません。
なぜ?どうして?気持ちばかりが焦ります。

●ホルモン療法●

「早く妊娠したい」と婦人科に通いホルモン療法を受け始めました。
生理が始まって5日目からクロミッドという軽い排卵誘発剤を5日間服用。
飲み終わったら外来へ。HMGという卵を育てる注射を1日置きに3回。
(これが筋肉注射なのでもの凄く痛い!!涙が出る程です)
3回目の注射の後超音波で卵巣の中の卵の育ち具合を見て注射の切り替え。
今度はHCGという注射。これを注射すると24時間以内に排卵が起こるのです。

こんな治療を何回やった事でしょう。
当時仕事をしていた私は病院へ行く為に遅刻早退を繰り返さなければなりませんでした。
上司に理由をはっきり告げる勇気はなく“私用の為”と書いた遅刻早退届を提出。
「ああ、また明日は早退させてもらわなきゃ」と思うと本当に気持ちが沈みました。

そんな想いをしながらも病院通いは続きました。
それでもなかなか妊娠しません。
生理が来る度にどんなに落ち込んだ事か。
「こんなに頑張っているのにどうして…。」
悔しくって溢れる涙が止まりませんでした。

周りの風当たりも益々強くなり
妊娠しない事に強い罪悪感を覚え始めました。
そんな私の気持ちを知らない人達からの「赤ちゃん出来ないの?」攻撃は続きます。

そして焦る気持ちをどうにかしたくて不妊治療で有名なY病院へと転院しました。
ここを選んだ理由は夜間でも注射をしてくれる。
これで遅刻早退は最小限で済む=少しは気持ちが楽になる。

夕方5時30分に仕事を終え職場から往復3時間かけての通院が始まりました。
注射を終えて家に着くのは夜の9時。
今思えばどうしてそこまでと思うのですがあの頃の私は
「赤ちゃんが欲しい」
それしか頭にない状態になっていました。
精神的にかなり追い詰められていたのです。

●初めての妊娠、そして流産●

そしていつもの様に3回目の注射を終え卵の育ち具合を超音波で見てもらっている時の事。
「あれ?あれ?○○さんですよね?」と先生の声。
「はい、そうです。」と答えるといつもとは違ったおかしな気配。
看護婦さんから紙コップを渡され「これにおしっこを取って来てください。」
???と思いながらもトイレへ行って来ました。
そして「先生からお話がありますからこちらへどうぞ。」
???言われるがままに先生のところへ。
「妊娠してますね。」と見せられた妊娠検査薬。
え、え〜?!「でも生理来たんですけど〜??」
「すぐに終わらなかったですか?いつもと違ったでしょう?」
そう言われれば2日だけですぐに終わってしまったような…。
それじゃああれは生理じゃなかったの?!!
基礎体温だって下降気味だったからてっきり…。
だから何も疑わずいつもの様にクロミッドを飲み注射も今日で3回目。

「ただこの週数でこの大きさだとたぶんダメでしょう。
稽留流産ですね。
2〜3日様子を見て手術しましょう。
その前に出血があればすぐに来てくださいね。」
淡々と説明する先生。

妊娠していた。でもダメだって。流産だって。
お腹の中に赤ちゃんがいた事知らなかった。
知らずにクロミッド飲んじゃった。
知らずに注射受けちゃった。
私が気付いていればもしかしたら…。
帰りの車中声を上げて泣いた事今でもよく覚えています。

翌日私はG病院にいました。
「もしかしたら違う病院でなら赤ちゃん助けてもらえるかも。」
そんな微かな望みを持ってG病院へ。
「もしかしたら週数が間違ってるのかもしれません。
来週また来てください。その時大きくなっていればいいのですが…。」
微かな希望の光。
帰りながら本屋さんで“たまごくらぶ”を買いました。
もしかしたら・もしかしたら・もしかしたら…。

翌週再び病院へ。
「う〜ん、すこ〜し大きくなってる様な感じもしますね。
ただ心拍が確認出来ないと…。また来週来てください。」

翌々週三度病院へ。
「心拍確認出来ませんね。大きさも変わらないし…。
やはり稽留流産ですね。水曜日に入院。翌日手術しましょう。」

私の微かな希望の光は消えてしまいました。
2週間の幸せ。1996年の春の事でした。

やっとやっとやっとの想いで妊娠したのにあっけない程簡単に流産。
それからの数ヶ月間私は立ち直る事が出来ませんでした。
妊婦さん、赤ちゃんを見るのが辛くて辛くて。
なるべく会わない様に見ない様にと過ごした日々でした。

●赤ちゃんがやって来た●

1997年は私の気持ちもだいぶ柔らかになり
「赤ちゃんが出来ないのなら自分達だけで楽しもう。」
という気持ちが持てる様になりました。

友達に誘われてたくさんのコンサートに行きました。
B’s 安室奈美恵 FUMIYA なぜか猿岩石まで(笑)。

ダンナと2人であちこちの温泉に出掛けました。
孫の顔を見せてあげられないからせめてもの親孝行にと
両家の両親を連れての海外旅行も計画したり。

そして「共働きだし充分ローンも払えるよね。」と
今までの貯金を頭金に憧れのBMWを購入。
納車日1997年8月12日。
この日私は生理に。これが最後の生理となりました。
翌月めでたくご懐妊(*^_^*)

この続きはたまご日記を見てね。

最終生理日=妊娠0日目と数える訳で
BMWと共にやって来たしょうとしゅん。
先日そのローンもやっと完済する事が出来ました。

不妊→流産→双子妊娠→切迫流産→切迫早産→早産

様々な経験をして来ました。
その時々でいろんな人の励まし助けを受けてここまで来る事が出来ました。
人の心の痛みも少しは分かる様になったかな?

だから私は言いません。
結婚したら「赤ちゃんまだ?」1人産んだら「2人目はまだ?」
挨拶代わりのこんな言葉に傷付く人もいるって事を分かってほしいのです。
赤ちゃんて夫婦間の授かりもの。
他人が入っていくべきところではないのではないでしょうか?


改めてしょうとしゅんを授かった幸せに感謝して。
赤ちゃんが欲しいと願う全ての人達にも幸せが訪れます様に。


2002年9月19日 よしみ