アプガールスコア 1

1998年3月23日午前11時手術室へ。全身麻酔での帝王切開でした。
その為私は子供達が産まれて来た時の事は全く覚えていません。
後で母に聞いた話によると手術室から出て来たしゅんは小さな身体に
たくさんの器具を付けられ看護婦さんに背中をパンパンと叩かれていたそうです。
そのまま救急車に乗せられ別の病院に運ばれて行ったしゅん。
その様子を見ていた私の母は「あ〜、あの子は助からないかもしれない。」そう思ったそうです。
しゅんについてK病院に行った主人が夕方になっても帰って来ず心配になった私の母は
「もしかしたら死んだ子を連れて帰ってくるかも。そうしたらよしみにどう言えばいいんだろう。」
そんな事はがり考えていたそうです。

後日母子手帳を見るとアプガールスコアがしょうたは2→8→8しゅんは1→1→6でした。
アプガールスコアとは産まれた時の赤ちゃんの元気度数のようなもので満点が10。
それがしゅんは1。その後6までどうにか上がったものの本当に死んじゃいそうな赤ちゃんだったのです。

私は夕方になってやっと麻酔から覚め「赤ちゃんは?赤ちゃんは?」とやっと出る声で先生に聞きました。
「うん。1人はここの病院にいますよ。」と先生。「もう1人は?」私がそう聞いてもなかなか答えてくれません。
「もう1人はK病院に運ばれて行ったよ。」しばらくしてやっとこの言葉だけ聞く事が出来ました。
今思えば先生もはっきりした事は言えなかったんだと思います。運ばれて行った後の事は分からないんだから…。

主人がK病院からやっと帰って来ました。「赤ちゃんは?」と聞いた私に「うん。大丈夫だよ。」と答えてくれました。
それでも不安で仕方がない私は「本当?私に嘘ついてない?」と何度も何度も同じ質問を繰り返しました。
主人がK病院の看護婦さんが撮ってくれたポラロイド写真を渡してくれました。初めて目にする我が子です。
なんて小さい…。そしてたくさんの器具がつけられてる。苦しそう…。
それでも頑張って生きていてくれる。それからその写真は私の宝物になりました。
枕元に置いておき何度も何度も写真の中のしゅんに話しかけました。「頑張ってね。」
そうして祈っている事しか私には出来ませんでした。
母になったのに何もしてやれない。そんな自分がとても悲しかったです。