「止めてください!」
ひっそりと静まりかえった街道に、場違いな悲鳴が響いた。
「いいじゃねェか、少しぐらい金くれってェ」
男が、同年代ほどの女性にたかっているのだ。先ほどの悲鳴は、それを極度に拒絶する女性の罵声だ。
男の髪はやや茶色がかかっていて、寝起きということもあってぼさぼさだ。未だ眠そうな一重の切れた眼には、
外来の眼鏡を真似たアクセサリーが掛かっている。袖なしの黒っぽい上着は素肌に直にかぶさっており、足には黒ずんだ青のズボン。
腰にさした一振りの刀が、彼が剣で身を立てていることを示している。
完全に異色の男性に対して、女性は何処にでもいる小町娘。特筆する点はないが、かといって不細工、と言うわけではない。
美しいというよりは、可愛いという言葉が似合う女性だ。やまぶき色の質素な着物が、それをひきたてている。
「いい加減にしてください!人を呼びますよ!」
いよいよ女性の口調はきつくなる。
「そう連れないこと言うなよォ。ここで会ったのもなにかの運命だとは思わないかァ?」
男はあいも変わらず交渉を続けようとする。
「思いません!女性に路銀をせびるなんて、それでもあなた侍ですか?!」
「そんなたいそれたもんじゃないよ。浪人だ、俺ァ」
「浪人でも、刀を携えているなら侍です!」
「あ、そっか」男は天を仰いだ。「忘れてた」
「忘れてた、って……」
娘は失笑した。
「それでも貴方さむ」
「浪人だ」
間髪入れず男は突っ込んだ。
「ま、いいんだけどな、どうでも」
そう言う男の目は、何処か寂しげだった。
男はその後、すぐ退いた。それはもう、呆気ないくらいに。「あばよ」と一言言って、振り帰らずに街道に消えた。
娘の頭には、そのシーンが鮮明に焼き付いて離れなかった。
そう、山賊に襲われるその時まで。
爽やかな木漏れ日の下、5名の山賊は、ニヤニヤと笑いながら娘を見下ろしていた。娘は両手を後ろ手に縛られ、猿ぐつわを噛まされている。
「顔は…まぁ中の上ってとこか」
山賊の頭らしき人物が、ポツリと呟いた。
「胸はでかい…ほうですかねぇ?」
「こんなもんで満足しましょうよ、先輩」
「ワシはもうちょっと幼い方が…」
「やっぱ男の方がよかったのォ」
それを合図に、面々が思い思いのことを口にする。
「まぁ、いいじゃねェか、野郎ども」
頭が制した。
「とっとと姦って殺るぞ」
「アイアイサー!」
治安の悪い命令に、娘は身を震わせた。背中は冷や汗でぐっしょりと濡れはじめ、これから自分の身に起こることを予想し、顎をがたつかせた。
「じゃ、早速俺から頂くぜ」
頭の不細工な顔が、娘のそれに近づいた。
刹那。
「止めとけ」
頭の横顔に、ローキックが叩き込まれた。頭は衝撃をモロにうけ、そのまま2メートルほど吹き飛ばされた。
『かしらぁっ!!』
取り残された4人の前に佇むのは、あの浪人だった。
「いいザマだなァ、娘っこ」
浪人はニヤリと笑った。
不思議なことに、それは娘の目に嫌らしく写らなかった。
「手前ッ!!」
山賊――頭含む――が一斉に刀を抜いた。
「大人しくしてろ、ぶっ殺してやんぜ!」
浪人の目が、ぎらッと光った。
「るせェ、群れなきゃなにもできねェ雑魚がイキがってんじゃねェよ」
浪人は唇を一舐めした。刀の柄に手をかけ、身を低くする。居合の構えだ。
「死ねェッ!」
山賊が吠え、飛んだ。浪人の腹をめがけた横薙ぎの一閃。
浪人はそれをすぅッと避け、正に瞬速と呼ぶに相応しい速さで刀を抜き、山賊の首を落とした。
「弱ェ弱ェ、欠伸が出るぜ」
浪人の顔には笑みが、山賊の顔には恐怖が広がっていった。
「ち、畜生ッ!」
恐怖に駆られ、プレッシャーに押し潰されそうになった山賊が、浪人目掛けて刀を振り回しながら走り出した。
浪人はその様を冷静に見、隙をついて腹を薙いだ。山賊の上半身は宙を舞い、下半身はだらしなく崩れ落ちた。
「ったく、どいつもこいつも…」
刀を、血を振り払うように振り回し、浪人は忌々しそうに呟いた。「歯ごたえがねェなァ」
「ひいいいいいいいいいいいいっ!!」
残された二人の浪人が、武器を捨てて逃げ出した。浪人はそれを追おうとしたが、その必要はなかった。
頭が、一薙ぎしてくれたからだ。山賊は無残に膝をつくと、そのまま息絶えた。
「へッ」
浪人は鼻で笑った。
「思いきるねェ、あんたも」
「主、仲間を斬ることに抵抗はあるか?」
「浪人に、仲間もクソも有るかよ」
「…では、俺のいきざまをどう思う?同胞を殺め、なお戦う俺を」
「生憎、他人の人生には首を突っ込まないタチでね」
二人は、フンと笑った。
「ま、負け犬には犬死にがお似合いさ。気にすんな」
「感謝する」
二人は対峙した。
無惨に転がる五つの死体を前に、娘は暫く竦みあがっていたが、それでも浪人が一緒にいてくれたことの心強さで、少しずつ立ち直りつつあった。
「助けてくれて、ありがとう」
浪人は肩をひょいッと竦め、「墓参りのついでだ。気にすんな」
「墓参り…?」
娘はオウム返しに訊いた。
「ん…」浪人は暫し黙り、「ここは昔戦場でな、俺のダチやらが土に帰ったところってわけさ」
「で、通りかかったら」きっと娘を見据え、「聞き覚えのあるだみ声が聞こえてな」
「だみ声ですってェッ!!」
娘は血相を変えて怒鳴った。浪人は少しむっとし、
「供える酒を買う金も持ってない浪人に、一文もよこさない奴の声なんざだみ声で充分さ」
浪人の強い調子の台詞に、娘は敏感に反応した。その様に浪人は機敏に反応し、
「ってのは冗談。さっきのお返しだ。存分にビビリやがれ」苦笑しながら言い足した。
「ご、ごめんなさい」
「いーっていーって、そんなに気にすんな」
「で、でも…」
なんとも言えない雰囲気が立ち込める。
耐えられなくなった浪人は、「じゃ、もう帰れるな?」と言いながら立ち上がった。
「気をつけて帰りな。アバヨ」
娘は胸が締めつけられる思いに駆られた。なぜだろう、浪人の存在がとても尊い。
「ちょ、ちょっと待って!」
浪人は立ち止まり、面倒臭そうに「あぁ?」と振り帰った。
「まさか、女性を一人で家に帰らせようって言うんじゃないでしょうね!?」
精一杯の強がりだった。本当は、一緒にいたいだけなのに。
「どーしろっつーんだよ」
ぼさぼさの頭を掻きながら、浪人は訊いた。
「家まで送りなさいよ」
間髪いれず、娘は震えた声で答えた。
浪人は肩を竦め、「やれやれ、まだまだお子様か」娘に歩み寄った。苦笑している。あるいは照れ笑いなのかもしれない。
「まぁ、いいぜ。惚れた女にぐらい、優しくするさ」
そう言って差し出された浪人の手は、とても暖かかった。