予言の剣
「流石に荒んでいるな」
街に足を踏み入れた壮年―ガウファは、見たままを言葉にした。
白髪混じりの黒い短髪、威厳のある顔、黒色の皮製の鎧に身を纏い、その上には紅いマントを羽織っている。マントに隠れて見えてはいないが、鉄の大剣を背負っている。
「そりゃそうさ。嘗ての栄光は見る影も無いね」
ガウファの前には、一人の少女が仁王立ちしていた。紅いワンピースに短いブロンド。6歳くらいだろうか、非常に愛らしい顔立ちであるが、胸を反って、両腕を後ろに組んでいるとな
れば話は別である。勝ち誇ったその顔は、どんなに恰幅のいい人物が見ても生意気、と感じるほどのそれだった。
「君は…?」
「着いて来てよ、傭兵さん」
ガウファの問いを聞いてか聞かずか、少女はすたすたと街道を駆けて行った。
大陸の南岸にあるヴェルハ王国。数年前の宗教がらみの内戦により、建物は見る影も無く荒れ、観光客で賑わう筈の市場にはねずみ一匹通らない。
国王は名ばかりの存在となり、政もまるっきり効果を示さない。警備はその力を無くし、住民はその日その日を死にもの狂いで切り開いていく。文明が開花したこの時代には珍しい、
廃街、というわけである。
他の街は、というと、近年発明された蒸気技術により、交通、産業などに脅威なる影響をもたらし、それに伴い生活は向上の一途を辿っていた。
だからなおさら、ヴェルハの廃れ様は異常と思えるのだ。
ガウファと少女は、街の側の小高い丘の上に辿りついた。
「酷い荒れ様だよね、ホント」
改めて街を見下ろした少女は、愚痴を零す様に言った。
「時代の影、という奴かな」
ガウファは相槌をうった。
「影?」
少女はいぶかしむ。
「蒸気機関の発達、という栄えある光の中に隠れた、人間の心の弱さという影。人はその影を否定する為に、神様やら宗教やらに縋り付き、自らの行動を合理化させてゆく。その代償
が、これだ」
一頻りの説明をした後、ガウファは顎で廃街を指した。
「へぇ、この町で起きたいざこざも知ってるんだ」
「一応な」
少女の大人びた言葉に、ガウファは短く答えるだけだった。
「で、私をこんなところに連れてきて、何の用だ?」
降り注ぐ太陽の光の下、額の汗を一度拭き、ガウファは少女に問う。
少女は悪戯に笑い、横にあった林の中に駆けてゆく。小さな身体は、少し背が高い草の中に簡単に溶けてゆく。
「やれやれ…」
ガウファは、少女に踏み倒された草を目で追いながら、新緑の林に踏み入って行く。
ガウファの腰の辺りまで伸びた草草は、木々の葉がすくいきれなかった光を反射し、緑の混じった光を生み、それをガウファの目に飛び込ませる。風が吹くたびに葉が擦れ合い、歌
う。鳥達は囀りを響かせ、随分近くなっていた空を優雅に舞う。
清々しい空気、そして領域だった。あの廃街を見た後なら、尚更だろう。
ふと、視界が開ける。
草の背が一息に低くなり、静かに広がった大地にコケが走っている。
その中央に佇む、先ほどの少女。手を後ろに組み、先ほどに比べるとややしょげている様に見える。
少女の傍らには、一振りの剣が、大地に深深とささっていた。全体的に青白いそれには、細かい古代文字が所狭しと彫り、刻まれていた。
「アタシね…」
少女は、俯きながら言葉を紡いでいく。
「この剣―アブソリュートの、ウェポンフェアリーなんだ…」
ウェポン・フェアリー。
作り手が武器を作る際に、最終的に良質と選ばれる物には、大概作り手の気持ち、心が篭っている者である。
ウェポン・フェアリーとは、その武器に特別な思いを抱く誰かが、常世に無念さを感じながら死を迎えた時に、その願いが武器に取り付き、その魂―念が具現化した存在であると考え
てもらえばいい。
「成る程な。フェアリーである君には出来ない何かを私にしてくれ、と」
ガウファは剣―アブソリュートに歩み寄りながら言った。
「お願い…」
少女はか細い声で呟いた。
「お願い、この剣を折って」
次いで少女は、確信じみた台詞を口にした。
ガウファは一瞬、己が耳を疑った。武器を破壊する、ということは、少女をこの世界から追い出すのと同様であるからだ。
「…それが何を意味するか、解っているのだな…」
ガウファは足を止め、少女の目線に自らのそれの高さを合わせた。
少女は下唇を噛み、両手を強く握り締めた。
「この剣に綴られているのは、あの街の宗教団体が綴った物。
アブソリュート―絶対という名から解るように、この剣に綴られたことは、綴った者の思いが強ければ強いほど、現実に起こってしまう、という魔剣。
あいつらは、この世の滅びを願った。でも、考えが浅はかだったのよ、あんな小さな街しか壊せなかった。
この剣は、お父さんが生きていた時に作った、最後の一振り。
大陸を駆けずり回って、やっと魔法をかけてもらったの。お父さんいつも言ってた。『これが善人の手に渡れば、もっともっと素晴らしい世の中になる筈だ』って」
「しかし、現実は甘くなかった。持ち主を転々とした魔剣は、その先々で欲望を果たす為の“機材”にしかならなかった」
少女は、誰かに声でもかけられたかのようにはっとした顔をして、空を見上げた。
「そう。結局人間なんて、そんなに綺麗な生き物じゃなかったのよ。一番浅はかだったのは、お父さんの考えだった、ってわけ」
「違うな」
ガウファは短く否定して、剣の柄に右手を置いた。
「一番浅はかなのは、君の考えだよ」
少女は予想外の答えに、くるっと身を翻し、ガウファを見た。
「何で?」
「人間は綺麗な生き物じゃない、だって?だったら、世の中のことを考えた君のお父さんも、綺麗じゃないのかい?」
「あ…」
盲点を疲れた少女は、手で口を押さえ、声を漏らした。
「人間なんてね、お嬢さん。一言で語れるほど、簡単には出来ていないんだよ」
ガウファは言葉を繋げ、そこまで言うと、一息にアブソリュートを引きぬいた。
「だから、もう少し粘ってみたらどうだ?投げるのは簡単だが、拾うのは困難だぞ?」
おどけ気味に、ガウファは言った。
その、芝居の匂いすら漂わせたその台詞は、少女の胸を強く打った。途端に、胸の中にあった堰が外れ、堪えていたものが涙となって、愛くるしい瞳から零れ落ちる。
「さぁ、行くか」
ガウファは言い、剣を肩に乗せた。
少女は思いっきり頷き、ガウファ左手にしがみついた。
アブソリュートの、土に隠れていた部分には、細かい文字で、小さくこう綴られていた。
―最愛の娘に、適度な挫折と、抱えきれない幸福があらんことを