十月

                 草刈り

 祭りや彼岸が終わるといよいよ多忙な秋となる。採草地での草刈りが始まる。これは主として男性の仕事である。 

 傾斜地の畑の砂の流失防止と、有機質の補給が目的で、耕作地全部へびっしり、ふたのように敷きつめる干草は膨大な量である。土地台帳では原野とあるが、当地方では山林面積についで広く、耕作地の三、四倍はある。

 面積を何人刈りと表現した。一人刈りが、場所や草の質によって多少異なるが、平均草束で六十把が標準と言われた。

 私の家でも五ヶ所、四十人刈りはあった。天気つづきなら問題はないが、この季節、秋の長雨の年が多い。畑仕事の関係でどうしても十月の中旬までには終わさなければならない。そんなわけで人手を借りる。またそれを仕事にする日雇い人夫、四、五人のグループがある。

 常時日雇いを業とする人たちは、この時期は引っ張りだこになるので、一戸へ二、三日ぐらいづつ行動をする。

 採草地は遠い山に多い。草津めんぱに詰めた弁当を持って、朝は暗いうちに家を出て星をいただいて帰る。家は帰って寝るだけの生活が少なくとも半月はつづく。

 採草地を草刈り場といって、何人刈りという標準があるから、どうしてもそれだけの仕事をしなければ、一人前あつかいをされない。腕の良い人は、きかいの「ホー」が午後五時をつげてから、十把とか十五把刈ったと自慢をする。

 草は片手で使う鎌で刈る。刈った草は一輪づつ束ねてそのまま転がして自然乾燥させる。十時と昼と三時の休みに、腰に吊す砥石で鎌をとぐ。

 日雇いの人たちは、指や手を鎌等で切った場合は心得たもので、ふきやよもぎの葉をもんで血止めにする。特にふき葉のもみ汁は効果てきめん、下手な薬より良く効く。

 天気の悪い日も少々の雨なら、蓑を背に桧笠をかぶって行く。鎌の切れ味は良いが、胸丈以上の草を片手での掴み刈りである。着衣はずぶ濡れになる。               

 広い雑木林の中でも、栗の木は、屋根板や建築材のぢふく、鉄道線路の枕木として需要が多く付加価値が高い。炭を焼いたり、薪にする場合に切らずに残すので非常に多い。栗の実は、おやつやご飯に炊き込んだり小豆の代用にあんにしたりと用途は広い。

 このころには、たわわに稔った栗の実は熟して落ちる。それを拾う婦女子たちや、草刈りの人たちで秋の山はにぎあう。

 また、あけびや山梨の実、柿も熟す。林の中には茸もある。秋の山は伯母の家へ行ったようだというが、はげしい労働の日々の連続ではあるが、まさに恵みの秋でもある。

 斜陽化した養蚕にかわって、「こんにゃく」が主要作物となった昭和三十年ごろから、農業改良普及事務所等の指導で、干草の代用に燕麦(えんばく)の使用がひろまった。稔る前に刈って蓋にするので、従来の干草のように草の種がないから雑草が生えない。そのうえ、刈り残る地下茎で空気の通りが良いのでこんにゃくの生育もすぐれる。さらに、人糞に代わって化学肥料が主体になった。古来から続いた、干し草の使用は終わり、きつい草刈りをする者はなくなった。

 加えて、木材価格の高騰と、国からの植林に対する補助事業が拍車をかけ、たちまち原野は、杉林に変わり、数年後にわらびが生える場所はなくなってしまった。

 草刈りが一段落すると、休む間もなく畑作業にうつる。こんにゃくは主として、戦前は冬季日当たりの良い南向きの畑の自然薯(じねんじょ)だった。

 十月中旬には、こんにゃくの茎は枯れて倒れる。残った穴を探して、「つくしょり」という特殊の道具で一つずつ掘る。掘った薯は、そのまま転がしておく。午前、午後と家に帰る時に種薯と切り薯に分けて運ぶ。半日に一篭(四十キロ)掘るのは忙しい。

 「こん」のいる仕事だがさほど力はいらない。大体十月一杯には終わす。