一月

                  元日

「年男(としおとこ)」これは家長か、成人した後継者の役目で,正月の神事一切をつとめる。

 暗いうちに起きて、家から四十メートルほど離れた井戸の氷を割って若水(わかみず)をくんでくる。若水を鉄瓶(てつびん)に入れ、大豆殻(だいずがら)に火をつけて囲炉裏(いろり)で沸かす。湯が沸いたら雑煮(ぞうに)の鍋に若水をたして囲炉裏にかける。神棚へお明りをともし、お茶をあげて家人を起こす。それまでは誰も起きてはならない。一同がそろったところで炉端(ろばた)で茶をいただく。お茶うけに金平糖やミカン、自家製の干し柿が配られる。

 前の晩から沸かしておいた風呂へ火を入れて家長が入る。朝風呂は昔の分家と貸し借りをする習わしで、年男が隣家へ迎えに行く。分家の家長が来て二番目に入る。風呂から出ると「結構なお湯でした」と挨拶をして炉端で茶を飲んで帰る。

 雑煮の汁も煮えて餅も焼ける。雑煮を木の器「めんぱ」に盛って神棚へ上げる。お明りは食用油へ「とうすみ」という10センチほどの植物性の細い管を浸して火をつけるのだが、けっこう長時間燃えつづける。(紙燭(ししょく)。紙のこよりを油に浸して燃やすもの)

 これまでは全部年男の仕事だが、正月の三日間は、女性はけがれるといって神棚のある部屋へ入ることは許されない。また、神事に手を出すことも一切禁じられていた。男尊女卑の封建社会そのものである。

 その間、夜も明けないうちに子供が初絵を売りに来る。絹笠様、恵比寿大黒などが、半紙大の紙に印刷されている縁起物で、どこの家でも買って神棚へ飾った。

 子供は小学校の四方拝(しほうはい)の式で登校、式後、ミカンを二ヶずつもらって帰る。

                 二日

                 山入り

 昨日と行事は同じ。父にかわって私が隣へ朝風呂を借りに行く。小学校5、6年のころからだった。井戸からの汲み水だったのでふんだんには使えない、熱くても我慢、じっとたえて沈むだけだ。体は真っ赤でゆでダコのようになる。お菓子やミカンをもらって帰る。

 朝食がすむと、小正月の飾りにする木をきりに山入り(仕事始め)に行く。鉈(なた)、鋸(のこぎり)、背負子(しょいこ)を背に父のおともである。

 山へ着くとまず持参した「おさご」(米)をまいてきよめ、包み紙の半紙でご幣束(へいそく)を作って木の枝につるして、山の神に一年間の山仕事の無事を祈る。

 木は、「ぬるで」といって薪(たきぎ)や炭にしても材質が悪く、他人がきってもとがめることはない。ただし、前の年に不幸があったり、蚕(かいこ)等が不作で経済的に恵まれない家のはきらって、金運のよい家のをきそってきつた。あやかりたいという願望からとわりきって、見ても見ぬふりをした。わが家のは父が商売のまねごとで金儲けがうまいというので随分きられた。

 朝風呂で汗を流すと、昼飯の時間になる。

                 三日

 朝風呂は三日はない。その他の行事は三日間、すべて同じである。朝は雑煮、昼、夜の食事はご飯で、夜は神棚へお明かりとご飯を上げる。この三日で年男の役目は終わる。若者が年男をした場合はなにがしかのお年玉が出るのだそうだが、勘定高い父からもらったことはない。

                 四日

 三ヶ日に神棚に上げた食べ物を下ろして、「おじや」にして朝食に食べる。これをお棚(たな)下ろしという。寺から僧侶が年始に来るのはこの日。

 一日に学校へ行くのは別として、今日まではよそへ出てはならない。子供はけっこう遊びに出ていたが、家にいてもうるさいので黙認したのだろう。嫁が子供を連れて里へ行くのは四日からである。三ヶ日は年始客の接待で女手がいるので、嫁は足止めをされたのだろう。

                 五日

 せりを採る。七草粥(がゆ)の材料だが、この日に採るのは一夜ぜりとならぬようにするためだそうである。

                 六日

 「六日どし」という。嫁は必ず帰って婚家で年とりをしなければならない。爪の切り始めでもあった。 

                 七日

 七草粥というが、我が家ではせり以外の野菜は入れない。父が食道楽だつたのでいろいろ入るのを嫌ったのである。

 餅を弁当に持って、ほうきの材料の「ちんじゅぼや」を採りに山へ行く。ついでに小(こ)正月に繭玉(まゆだま)をさす木の枝「ぼく」もきってくる。

                 十一日

 鏡開き(お蔵開き)。暮れに神前につくった棚へ供えた餅をおろす。(棚は長さ1.5メートル、幅35センチほどの板をつるし、半紙をしき,大小の餅を2ヶづつ重ね12ヶ置く)

                 十三日

 物つくりと言う。二日の山入りできって来た、「ぬるで」の木でどんどん焼き用の大太刀(おおたち)(長さは身の丈以上で直径は十センチ)、俵(飾り物で、太さ五センチ、長さ十五センチ、皮をはいで切り口に金、銀、繭、こんにゃく、米、麦等と書く)を十二ヶ作りたばねて神棚へ飾る。粥かき棒(十五日の朝粥を煮る時にかき回す)一対、大刀、それと男の子供用の脇差しを大小一対、かちこん(神社、墓地供えるので数は多い。直径二、三センチ、長さ十五センチ。皮をはいだもの、はがないもの半々、それに皮をはいだ楮(こうぞ)の殻と、にわとこの素性の良い部分で「けずり花」を作る。父はこのけずり花作りが得意で、我が家のは特に立派だった。道祖神のは長さ五十センチ、直径十センチの太刀作りで、皮をはいだところへ奉納、OO氏と書く。はらみ箸、(中ほどを太くする)家族全員に作る。私は自分で作ったこれが好きで一年中使った。ぬるでの皮をはいだり、けずったり筆で書いたりで、日の短いこの時期夜遅くまでかかる。

 女性は「まるめどし」といって、米の粉を湯で練り、それを球形や繭形に丸める。

                  十四日

 暮れに飾った正月の松飾りやしめ縄を少し残して取り払い、どんどん焼きの場所へ運ぶ。

 昨日作った「かちこん」を、ひものついたざるに入れて肩にかつぎ、屋敷稲荷、神明様、道祖神、馬頭観世音、祠や墓地等へ配る。

 女性は、昨日丸めた繭玉を「せいろう」でむす。むしたのを「うちわ」であおぎながら手早く、ぼく(一メートル程の梅、もみじ等)の小枝にさす。これらを神前につくった棚へ並べる。そこへ、小判(正月だけの飾り物)もつるす。その他、松飾りをしたところ全部へ繭玉五、六ヶをさした小枝を配る。

 晩ご飯を早めにすまし、日の暮れるのを待って戸主は大太刀、家族が繭玉のささった「ぼく」の枝(これは特別大きく柄(え)は二、三メートルはある)をかつぎ、脇差しを持ってどんどん焼きに急ぐ。(どんどん焼きは道祖神が祭られた場所で、小塩沢集落には上、下二ヶ所にある)

 男女の厄歳(やくどし)に当たる人が、(男、二十五と四十二。女、十九、三十三)厄払いをする意味で、蜜柑を投げる風習がある。子供のお目当てはこの蜜柑拾いだ。めったにお目にかかれないしろものなので心をわくわく弾ませて待つ。投げるのは一人が七、八キロ入りの木箱一つ。それを大勢の子供で暗闇の中の手さぐりだからよほど運が良くなければ拾えない。

 蜜柑拾いが済むと火を囲んで、「ぼく」の枝の繭玉を火にかざしてこがして食べる。正月に飾った書き初め(小学校の課外授業で、長さ一メートル、幅三十センチほどの用紙。それに太筆で四、五文字書く)友達と交換したり親戚に配ったりした)を燃える火の中に投げ込んで、火のついた書き初めが高くあがれば、書の腕が上達するといわれた。

 大太刀(おおだち)の先が良く焼けると戸主はそれをかついで家へ帰る。その大太刀の火でお明りを灯して神棚へ上げる。子供は娯楽のない時代、火で体を温めながら夜の更けるのを忘れて遊んだ。

                 十五日

 十三日に作った粥かき棒(長さ三十センチ 直径三センチぐらいの太刀作り一対を紅白の水引で結わえる)の先を四ツ割りにして、堅くなった繭玉をはさむ。この棒でかきまぜながら小豆粥を煮る。煮えるとまず神棚、仏壇に供える。これが朝食だが、熱くても吹いて食べてはいけない。

 粥かき棒は二階の屋根下へさして置く。火難、水難除けとい言われた。

 小正月は鬼の首も許されると言って勿論仕事は休み。天下晴れて羽を伸ばすが、家事をあずかる主婦は、年始客が多く酒肴のもてなしで大変だ。

                 十六日

 墓参りをする日である。菩提寺に幾ばくかの金をつつんで年始の挨拶に行く。

                 十七日

 夕刻になって、神棚の「ぼく」を下ろして繭玉をもぐ。蚕の繭かきの真似ごとである。今日まで仕事は休みだが、この時間には子供も家に帰って手伝う。養蚕が家計の柱であった当時とすれば、こうした願い事を大事にしたのは当然であろう。

                 二十日

 恵比寿講(えびすこう)。恵比寿、大黒様が働きに出かける日である。小豆飯(あずきめし)を椀に山盛りにして、野菜汁、おひら(お煮しめ)、頭つきの魚(奮発をして鯛)の膳と、現金や貯金通帳を供える。資本金を持たせてたくさん稼いでくるよう祈願した。

                 二十八日

 しまい正月。最後の休み日で、回りきれなかった年始に歩く。また黒滝山不動寺に年始に行く。(二十八日は不動様の日である)

 農閑期とはいえ毎日遊んでいるわけではない。上記以外の日は働き盛りの男子は「朝づくり」といって、女性と一緒に起きて朝食まで一仕事するのはもちろん、日中は山に入って薪を作ったり、家まで運んだりする。なにしろ一年間囲炉裏、竈(かまど)、風呂で燃やすので、たいへんな量である。その他、堆肥(たいひ)の材料の落ち葉を集めたり、家畜の世話、崩れた石垣の修理等仕事はいくらでもある。雪のない一月は特に山仕事は怠れない。二月になってどか雪にみまわれることが多いからである。