三月

 三月半ば、この頃になると日陰の雪も凍土も解けて、わが家を含めた三軒の共同の水道普請が行なわれる。沢の水を、竹の中の節を抜いた樋(とい)に流して分ける。よほど旧くからあったのだろう、ここの地名を樋久保という。

 十二月始めころより、雨の日も雪の日も、また、風の吹き荒れる日も何度となく、四十メートルも離れた井戸から桶(おけ)を天秤棒(てんびんぼう)でかついで水を使っていたのである。この労働からの解放感は言葉には表せない。

 静かな夜更け、樋から庭の池に流れ落ちる水の音を聞くと、春が来た幸せを実感する。

 彼岸、家の前の山の中腹にある寺がにぎやかになる。枯れ野の墓地に線香の煙が立ち、まかれた「おさご」をついばむ烏が鳴きながら飛び交う。木の芽もふくらみ、梅の蕾もほころびる。心が浮き立つ季節である。

 日足も伸びて一雨ごとに暖かくなり、露地の福寿草も咲く。待ちに待った春の到来である。下旬にはジャガイモの植え付けに一家総出で、どの畑もにぎやかになる。