五月

 寒からず、暑からず、緑の風はさわやかだ。天気も比較的安定して日も長い。黒滝山の祭りがすんだころは、絶好の板屋根の葺きかえ日和りである。

 五、六戸での共同作業で、暦の良い日に行う。朝は早い、七時には集まって朝食をとる。この日はどの家でも食事には気を使う。米のご飯におかずは魚である。

 片屋根を四等分して全員が一組になって行う。まず手ぐり(手渡し)で石(重石用の)を寄せる。そして押さえの竹を片づけて、屋根板を取り除く。その際いたんだり腐食したのは下へ捨てる。はぎ終わると笹箒(ささぼうき)で垂れ木や抜き板のすすを丁寧に払う。それが終わると横一列に下向きに並んで、一番左の人から、長さ二十五センチ、幅六、七センチ、厚さ二、三ミリの栗(くり)板を順に並べる。捨てた分を新しい板で補給しながら、上まで並べ終わつたところで四つ割りにした竹を押さえにして石を置く。

 高い所でさわやかな風を受けながら、世間話に花をさかせての作業は心地良い。二通り終わったところで、十時のお茶になる。お茶受けも豪華だ。それから二通り、午前で片屋根は終わる。

午後は残りの片屋根で手順は同じ。三時のお茶受けには米の握り飯が出る。お茶の時間を含めて、午前午後とも四時間三十分、まだ日のあるうちに終わる。明るいうちに酒肴のもてなしで夕食をご馳走になる。

 一年おきで毎年三戸、十日頃までには必ず行なわれる。埃をかぶるのが難点だが、仕事としては比較的楽で、大勢なのが何よりも楽しい。

                 節句

 ここでは、男女の区別はなく四月の節句に雛は飾った。矢車のついた鯉のぼりや吹き流しが立つようになったのは、戦後の昭和二十四、五年ころからだ。

 それまでは、屋根の葺きかえや、こんにゃくの植え付け。養蚕の掃き立てを控え、家のすす払い(大掃除)をして、蚕の道具を洗う。また上族(じょうぞく:蚕が繭を作るもの)に使う「まぶし」の修理等、猫の手をかりたいほど忙しい。節句どころではないのが実状だ。

 そんな中でも、菖蒲(しょうぶ)の節句といって、菖蒲を二三本とよもぎを屋根の四隅にさして飾る。また菖蒲を風呂に入れ、その長い葉を腹に巻いてゆわえ、もう一本の葉でこすって音を出すと、腹の中の虫よけになるとも言れた。

 菖蒲は鬼や魔物、蛇よけともいわれた。今はあまり見られなくなったが当時はどこの家でも屋敷の中に菖蒲があった。花と葉の観賞以外に、菖蒲には触れると独特の匂いがあるので、その匂いを鬼や蛇が嫌うのではないかとの、迷信的なものだったのではないか?。

 多忙の中、新葉の柏餅をつくって祝ったが仕事は休まなかった。 

 蚕は中旬には掃き立てる(購入した卵から幼虫にかえすこと)。その世話に一人はかかりきりになる。やがて蚕が三度目の休み(脱皮のために食べなくなる時期)になると、よもぎと白のあんこ餅をついて近所や親戚に配って祝う。農の五月といって、多忙のこの時期の柏餅、繭が沢山とれるよう祈りをこめた二色の餅、これは最高にうまかった。

 蚕の三眠から四眠の間に茶摘みをする。わずかの間、紅い腰巻きに姉さんかぶりの女性の活躍の季節である。家では「ほいろ」で男達が茶つくりをする。ほとんどが自家用なので数日で終わる。時期はその年の陽気にもよるが大体五月の末から六月初旬までであった。