八月

                釜の口あけ

 八月は盆月である。一日は、地獄の釜の口のふたがあき、霊が出て来るという。固いやきもちを焼いて、仏壇に供えて食べる。

 月が変わると、初秋蚕を掃き立てるが、春蚕より掃き立て量はずっと少ない。気温が高いので日数も短い。月末には繭になり出荷する。

                 七夕

 星祭り。六日に竹をきる。里芋の葉にたまった朝露を取って置き、昼休みにその水で墨をすり、短冊に天の川とか思い思いに、願いごとを書いて、竹の枝に結わえて吊す。竹の一番天上に五色の色紙で網をつくって吊し、軒下へ立てる。

 七日、暗いうちに起きて、昨日取ってきた「ねむ」の葉で目をこすり顔を洗って、墓地の草刈りに行く。刈った草は背負って帰り、堆肥や畑に使う。

 家では七夕名物の、小麦粉にふくらし粉の重曹を混ぜて、炭酸饅頭(まんじゅう)をつくる。

  飾った竹は、夕方川へ流す。

                  盆

 十三日、ご先祖様が帰って来る日である。

 新竹と「ちがや」で編んだ縄で仏壇を囲い、棚をつくって「ござ」を敷いて位牌を並べる。果物、野菜、山から取ってきた「ききょう」、「おみなえし」、「山百合」等を供え盆提灯も吊す。

 夕刻、麦藁を使い庭先で迎え火を焚く(この煙に乗ってご先祖様は来るという)。火を小さい提灯のろうそくに移して、盆棚へ灯明を灯す。

 夜、集落で一年間に亡くなった人の家へ、冷や麦を三、四束持って新盆見舞いに行く。集落以外の親戚の新盆見舞いは、十四日に行く。この頃は蚕も四眠期で桑摘みも忙しいので、新盆の家も、また見舞いに行く人も大変だ。

 小塩沢にはいつのころからか、子供だけで盆に集落を見おろす中央の山で「火灯(ひとぼ)し」を行う習わしがある。

 十四日、子供が各戸から麦藁を集めて山へ運ぶ。木をきって櫓(やぐら)をくんで麦藁で小屋と麦はぜをつくり、つづく下の斜面に、道火用に長さ十メートル、幅一メートルほど麦藁を置く。炎天下、三百メートルほどの山道を、大量の麦藁を背負って運ぶのは、子供にとってきつい作業だ。麦藁と一緒に金も集める。その金で、大きい者たちが町へ花火を買いに行く、

 日暮れを待って子供は山へ登る。花火の打ち上げが一時間ほどで終わると、いよいよ道火の麦藁に火をつける。炎天下、乾ききった麦藁は火の手をあげて燃え、櫓に燃え移ると炎は火柱となって集落を照らす。火の明かりを頼りに山を下った子供は、川の淵へ飛び込んで汗とほこりを流す。

 火灯しは、子供にとって、年間を通じて最大のイベントであるが、長い間には雨の日もあるし、夕立の雨に見舞われることもある。

 十五日は、朝夕の桑摘みだけで日中の仕事は休む。まるめものといって、饅頭や柏餅、おはぎ等をつくって仏棚に供える。

 十六日は、位牌を仏壇へ移して棚はこわす。竹や供えものは川へはこび線香を燃やして流す。送り火を焚いて墓参りをする。 

 盆が終わるころは、蚕も四眠から起きる。最盛期の一週間、朝から日暮れまで桑摘みに追われる。やがて熟蚕となって上族、繭となって出荷をするころには月も変わって九月になる。

 参考。「桑摘み」という鉄製の爪のような小道具がある。両手の人差し指にはめて、桑の木の枝から葉を一枚ずつ摘み取るのである。