野菜つくり           

 山林、原野が八十九パーセントの、南牧村では、田んぼは一枚もなく米は一粒もとれない。こんにゃく、繭等換金作物一本やりの農業であった。

 昭和三十年代の後半、国の政策が高度成長経済となつたために、貿易の自由化がすすみ、農林産物の値段がさがり採算があわなくなつて、大部分の畑が荒れるにまかせる状態になってしまった。どの家もが、わずかな耕地で家庭菜園的な農業にかわって、自家用目的の野菜つくりに本腰をいれだした。私の家でも例外ではない。

 農業の規模は小さくかわったが、農機具のあつかいや耕地の管理はお手のものだから別に苦労はない。かっては繭、こんにゃくの全盛期で、野菜は買うほうが有利だったので、それらにたいする関心はさほどなかった。しかし実際に野菜を作ってわかったのだが、すべてとまでは言えないが、この地方の物はおしなべて、(自家産ということはぬきにして)一味も二味も違う。土地の気候風土と地味それに標高も四百から五百メートルと高く、谷間なので日照時間もみじかい。したがって昼夜の温度差がある。これが一番の好条件ではないだろうか。

 昭和三十年代のはじめのころ、こんにやくに代わる作物として、夏出しのきゅうりを栽培して、東京の市場へ出荷したことがある。味、質的には非常に好評だったが、他の産地と競争するのにはあまりにも耕地の条件が悪く、採算がとれず止めてしまった。今でもこの時期のきゆうりは自家用として人気は高い。

 適地適作という言葉がある。いくら努力しても土地に合わないものは作れない。これが野菜つくりのポイントである。下仁田葱も近年は評価されて人気がある。下仁田町が古今を通じての産地だが、南牧産は見た目は劣るが味は勝るという。(手前味噌かもしれないが)真実うまいような気がする?。

 あと一つは播種の時期である。適期をあやまれば成長にも影響するし、出来たものもいじけてしまいもする。野菜作りのひけつは、種まきの時期とあとの管理にある。自らの体験と、くわしい人の指導を仰ぐのが賢明だと思う。     終わり