茶の製法           

 春がおそい当地方では、その年の気候にもよっていちがいには言えないが、五月の末から六月の始めが「しゅん」である。茶の葉がやわらかすぎても、また出来すぎてこわくてもまずい。この加減は茶をつくってはじめて覚えることで、経験を積むしかない。

 茶を摘むのは、まず、朝露が乾くのを待ち、手で茶の木ぜんたいの枯葉やごみを丁寧に落として始める。新葉を一枚、一枚摘むのだが、ある程度の茎が入るのはやむをえない。

 当地方での茶はほとんどが自家用だから、専用の畑はない。畑のすみか、傾はんに栽培されているだけだ。したがって一日に摘める量は少ない。一人でせいぜい八キロから十キロほどである。

                二茶の加工

 摘んだ葉は幾日もおくわけにはいかない。翌日には茶づくりの作業に入る。

 葉は蒸篭(せいろ)で蒸す。一度に蒸す量は一つかみていど、その加減は長い箸でまんべんなくかき回し、箸の先に葉がからまるようになったら、す早く蒸篭の葉をござの上にあけて広げて冷やす。あるていどの量がまとまったところで,いよいよ「ほいろ」での加工作業に入る。

「ほいろ」と言うのは表面積は畳一畳くらいで、四すみに栗の木の柱を立てて、それに割った竹を藁縄で結びつけ、壁土を塗りつける。高さは大人の腰丈ぐらいだ。中には木炭が一俵(十五キロ)は入る。べつの木わく(同じ面積で高さ十五センチほどのわく)のそこに亜鉛鉄板をはり、その表面に障子紙をのりづけをする。この設備はどこの家にもあった。

 「ほいろ」の中の木炭が真っ赤にやけたところで、稲藁を火が見えないていどにかぶせて燃やす。これで準備完了、いよいよ作業に入る。まず、蒸した葉を「ほいろ」の鉄板の上にのせ、両手で掬いあげてはふり落とす、二、三十分もこの作業をくり返していると、水分がとんで粘り気がなくなる。この作業を「ほだてる」と言う。

 つづいて「荒もみ」である。焼けた鉄板の上で力一ぱいもむ。懸命にもむのでこれはしんどい。二人の場合、一人はむしろ等に移してもむ家もある。時間は多少余計かかるかもしれないが作業は楽だ。「荒もみ」で粘りが出ると、ほだてて乾かす。あるていど乾いたら、もう一度もむ。これを何度かくりかえすと、粘り気がなくなる。この時点で一たん「ほいろ」から上げて紙等へひろげておく。二人の場合、一度に六キロぐらいが適量である。全部のあらもみが終わる。この時点で、かさは三分の一ていどに減る。

 それらを何等分かにして「仕上げ」の作業となる。これが一番むずかしい。葉ぶりをきれいに、つまり、一枚、一枚を針のように仕上げるのである。これを「より」をかけると言う。この「より」が良くできると茶を飲むとき、香りが長くつづく。両手に葉をしっかりつつみ込むようにして、「ほいろ」全体に移動させながら「より」をかける。いそがしく移動させないと、葉が乾燥するにしたがって鉄板がやけこんでしまうし、うっかり手をやすめたり、葉をひろげたりすればたちまち乾いてしまう。全身汗びっしょりになる。

九十九パーセント乾燥したのを一旦「ほいろ」から上げて冷やす。全部が終わったところで、これを「ふるい」にかけて粉になったのや、玉になったのを除く。

 最後の「火入れ」の作業は全部を一度に行なう。「ほいろ」一杯にひろげて手の肘まで使って製品をこがさないように、忙しくかき回す。そのころは鉄板も製品も灼けdv6h417pきって非常に熱い。指の先は感覚がなくまた全身から汗がふきだす。製品の中にある茎がポキリ、ポキリと折れるようになれば、漸く作業終了である

「ほいろ」には一人用と、二人用とあって、一人用で大体二十キロ、二人用で三十から四十キロの葉茶を仕上げる。朝早くから日暮れまで、その日の「ほいろ」の火加減と天候によっても違うが、十時間から十二時間はかかる。葉茶に対し製品の重さは、五分の一が目安である。

 出来上がった製品は冷えきらないうちに缶等に入れて密封する。残り火を始末すれば作業は終了である。

 近年はガスや石油の器具を使うが、火加減が容易で設備も簡単につくれる。

              三余談

 当地での茶の栽培、製茶は古く江戸時代からだと思う。栽培される茶は、ほとんどが在来種で、冬でも陽のあたる南向き斜面の畑の、耕土流失防止をかねたもので、生産性はきわめて低い。嗜好品で自家用ていどであった。それだけに製品の質は、家ごとに多少のちがいがある。出来た茶を、互いに隣近所や親戚友人に配って味自慢をし合ったり、また茶天狗というのがいた。

 繭、こんにゃく、和紙等のような換金性もとぼしかったので栽培、製法等歴史的な記録は残っていない。

 昭和四十年頃になって、「計画的茶園造成を行い、品質の向上と生産量を増大させ、農業所得の向上を図る」とのうたい文句で、農協に製茶工場が建設された。しかし、立派な目的とはぎゃくの結果で、みた目は良いが、味は惨憺たるものであった。運びこまれる葉茶に対し、加工が追いつかないのである。三日も四日も山づみされた葉茶は、むれて熱を出し、茶本来の香りは消えてしまう。おまけに平坦地の出来すぎた葉茶がまじるので、品質はいちじるしく低下した。

 五月の末ともなれば、養蚕、こんにゃくの植え付け手入れ、麦刈り等猫の手をかりたいほど忙しい。その合間の作業なので自家用が目的の農家では、製茶技術をきわめる余裕はなかった。そんなわけだから一旦、委託加工で、楽を覚えてしまえば、もう苦しい茶造りなどする者はいない。それと、井戸水や沢の水を飲んでいた時代とはことなり、滅菌のための薬品の入った水道水を使用する現代、かってのようなお茶の香りを味うことはできない。 終わり