狩猟談義         

 家に伝わる江戸時代末期の古文書によると、農作物の被害を防ぐために、代官所から鉄砲(火縄銃 )を借りて、返すときには獲った獣と数が報告してある。  

 熊、猪、鹿等大動物が沢山いたようだ。それらも、明治時代になって銃器の進化で捕獲が容易になったことと、毛皮の需要が増えて絶滅に近い状態になったようだ。古老から山で鹿の角を拾つたぐらいの話しか聞いていない。

 私が、もの心がついてから山に棲む動物は、獣では野兎、狸、むささび、りす等で、あとは山鳥、雉などで、狐やてんなど毛皮が高級な獣は捕獲が激しく、めったにいなかつた。

 昭和六年満州事変が起こってから、酷寒の地の軍隊用に、野兎や狸などの毛皮の需要が増えて、冬の間、それらの捕獲を仕事にした人もいた。

 太平洋戦争が始まってからは、人手と資材不足で狩猟をする者がいなかったので、野兎や山鳥が非常に増えた。食料難の時期、山畑に蒔いた麦など、冬の間、これらの動物に根こそぎ食べられ、またせっかく植えつけた杉苗の葉は、野兎の餌で坊主にされてしまう。戦後もしばらくは捕獲する資材がないため、山は彼らの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する楽園で、野兎や鳥たちの糞は、いたる所にはき集めたほどあった。

 私が狩猟を始めたのは昭和二十六年、二十九歳だった。農作物の被害防止や家族の栄養源の確保とか、きれいごとは口実で、実のところ、本家の伯父や母の実家の叔父が共に狩猟道楽で、子供のころから猟の供をしたり、またそれらの話に心をはずませたりして憧れがあった。

 まだ村が合併する前で、今の南牧村になった三ケ村で猟をする者はたったの九人だった。隠居か仕事嫌いな者ばかりで、人々からは極道者のレッテルを張られ白眼視された。

 途中何年か休んだが足かけ二十年、二匹の犬に恵まれた。最初の犬は三歳になる茶の柴犬のめすだった。山に入ると前の片足を一寸上げ、顔を少しかしげて耳と鼻であたりの気配をうかがう。気配があれば主人にはおかまいなしで一目算にかけ出す。こちらは右手で鉄砲をかつぎ、左手で腰の弾帯を押さえ息をハーハーさせながら遅れじとかける。そんな案配だからいつも空鉄砲ばかりた。

 それでも一ヶ月もすると、自分だけでは捕れないと悟って落ちつきも出て足もとからあまり離れなくなった。ただ、獲物を見つけてもポイントはしないで、真っ直ぐ突っ込む。山鳥の場合、地面で餌を漁っているところを、突然飛び込まれるので、びつくりして近くの木の枝に飛びつく。その鳥に向かって犬は狂つたように吠える。山鳥も逆さになって犬とにらめっこである。鉄砲を持った人間にはまったく気がつかない。これなら誰にも捕れる。この芸は茶色の柴犬にかぎったことで、白や黒の犬、また西洋犬では絶対にあり得ないことである。

 りすの肉が子供の寝小便の薬になるというのでよく頼まれた。皮は高級な襟巻になるとか、週に一度皮屋が来て、はいで金と肉は置いて行く。一枚が六十円、当時は弁当持ちで山で働いても日当が二百五十円だ。五匹も捕れば十分な日当になる。すっかり犬がりすの習性を覚えてよく見つけた。

 りすが行動するのは朝日がさす午前八時から十時の二時間程である。高い木から木へと飛ぶのを見つけては、目を離さず吠えながら追いかける。だから見つけるのは簡単だ。りすは午前十時を過ぎるころには姿を消してしまうが、今度は鼻を使って住処を探す。昼間は木の根本の土の中に潜っているのが多い。小さいその穴を嗅ぎつけると吠えながら前足で地表をはげしく叩いて木に追い上げる。これは教えて出来る芸ではない。

 野兎の場合は犬が追い出したら、静かにその付近でじっと待つ。逃げる野兎の臭いを頼りに吠えながら執拗に追う。野兎は必ず出た場所に戻る習性があるので、しとめるのは簡単だ。

 猟犬にポイントという芸がある。犬特有の鋭い嗅覚で獲物を探し最も接近した所で、尾をピンと立てて襲いかかる姿勢をいう。そして「よし」の合図で突っ込んで追い出す。これは西洋犬のセッター種やポインター種の特技で日本犬ではごく希である。鳥や野兎が犬が接近するまで何故逃げないのか不思議でならない。たかが犬、じっとしていれば隠れきれるとでも思っているのか、或いはおびえてしまって動けないのか、彼らの心理状態はわからない。

 二匹目は西洋犬のセッターでこれもめすである。生後五ヶ月だが主人が狩猟に出ると、親犬と一緒について行くという話を聞いて早速もらってきた。山で呼ぶ時に通りのよいように「ミー」という名前をつけた。

 翌日セッターの成犬を使う友人とミーも一緒に狩猟に出かけた。山に入って間もなく友人が山鳥をしとめた。成犬が落ちた山鳥を運搬してくると、口にくわえている獲物に横から飛びかかり、奪おうとして二匹の喧嘩になった。狩猟の経験のない犬は鉄砲の音におじけて逃げるものだが、ひるむどころか奪いにかかるのを見て、半年足らずの子犬のあまりにも猟欲の旺盛さに友人と腹をかかえて大笑いをした。

 おす犬のセッターは豪快だ。獲物の気配があると始めは広い範囲を円を描くようにかけ、段々円を小さくして最後にピタリとポイントをして押さえて、「よしっ」の合図で飛び込んで追い出す。その点、めす犬のセッターは動作が細かい。獲物の足跡の臭いを丁寧に拾いながら居場所を突き止める。

 ミーの場合は下向きに狙えば野兎、上向きに狙えば鳥と、この区別ははっきりしている。しかし困ったことにポイントが長い。野兎の場合は、はっきり姿が見えるが、鳥は不思議なことに絶対に姿が見えない。犬がにらむ方向の二メートル以内にいるはずで、しらみつぶしに見ても姿は見つからない。「よしっ」といくら声をかけても、じれったくなって後ろから尻を押したり、また鼻づらへ小石を投げても動こうとしない。ミーは長いよだれをだらだら流しながらじっと構えているだけだ。ミーには獲物の所在はわかっていて、多分鳥とにらめっこをしているのだろう。こうなったらもうお手あげである。毎度のことだが鉄砲を構えたままミーの前へ足を踏み出す。いきなり足下からはげしい羽音をたてて鳥は飛び出す。このことは十分に心得た上で、落ちついているつもりでも瞬間的に心が動揺するのだろう。あわてて引き金を引いてしまう。見事、空鉄砲である。「ミー」との十年、何度も経験した。鳥が数羽で群をしている時はポイントをしても必ず動くのがいる。相手が動けば飛びこむので、こうした場合は間違いなく弾は当たる。

 野兎を上から狙うのは、野兎は後足の強いバネを使って跳ねて走るので、傾斜面を上へ追うのでは残念ながら歯がたたない、下へ追へば前足が長いだけ犬の方が有利だ。野兎が「ねど」(野兎が昼間潜んでいる穴。土に穴を掘って昼間はそこで寝る。暑い季節は日陰、寒い季節は日当たりの良い場所とはっきりしている)から飛び出した瞬間捕まえてしまう。鉄砲はいらない。

 鳥を上に向かって狙うのは、鳥の場合下方に飛び出すほうがスピードが早い。上に向かって飛ぶ場合は羽ばたきをするだけスピードが劣る。主人としてはこのほうがしとめやすい。そこまでの気配りには吾ながら脱帽である。

 ミーがいくら追い出しても射止めることができなければ、弁当を広げても、目をむきだしてうらめしそうに見ていて寄りつこうとしない。この目で見られるのが一番辛い。手をついて謝りたい心境になる。いいあんばいに獲物があれば、そばへ来て甘える。背中のビクがふくらんだ日は、家の見える所まで来るとかけ出す。獲物がない日は家が見えても、頭を下げたまま絶対に前へ出ようとしない。

 一犬、二足、三鉄砲というが、本当に名犬に恵まれた。人と犬の心が一つになった時、始めて狩猟のだいごみが満きつ出来る。     終わり