山の動物          

 江戸時代末期代官所より、農作物の被害を防ぐために鉄砲を借りて、熊、猪、鹿等を駆除をしたという古文書がある。明治時代になって鉄砲等の進化により捕獲が容易になり絶滅してしまったようだ。

 古老たちからもそれら大動物がいたようだぐらいの話しか聞いてない。また子供の頃から聞いたことも見たこともない。

 太平洋戦争前後、人手と資材不足で狩猟をする者がいなかったので、野兎や山鳥、りす、むささび等が繁殖して、農作物や植林地の杉、桧等の被害が大きく人々は頭を痛めた。とくに野兎による食害はひどく、官民一体の駆除作戦として猟友会に有害鳥獣駆除を依頼したり、野兎が臭いを嫌うコールタールを杉苗の枝に塗布してみたりと、あの手この手と試みたが決定打となるような方法はなかった。

 そんな折り、長野県の営林署で狐を山に放して、野兎の駆除を図った。これは効果てきめん。栄養満点の野兎、山鳥や雉の卵、その他の小動物が餌だから狐はたちまち大繁殖をした。やがて餌を求めて隣接する当地方へも移動して来た。従来からいる銀狐とは毛並みが異なり褐色である。狸やてん等、天敵の少ないところへ狐が群で来た。憎まれつづけた野兎や鳥類はそれら肉食動物の餌食になり、数年のうちに姿を消してしまった。ちり取りですくうほど沢山あった野兎の糞も今はない。

 山に餌がなくなってから人里へ出没して鶏を襲い、わな等にかかり命を落とした狐も多い。餌を食べ尽くした肉食動物の末路もまた哀れで、餓死という悲惨な運命が待つだけだつた。

 杉が売れず、人間が入らない山は、江戸時代の昔に戻ってしまった。今は、熊、猪、鹿等草食の大動物の楽園である。

「杉を植えて天までいたる」という状態で、奥山には獣が餌にする実の成る落葉樹が少ない。これらの獣が餌を求めて人里へ出てくるのも無理はない。里山には熊の好む柿、畑には猪や鹿の好物の栄養豊かな野菜や穀類等、人間様の食べ物が沢山ある。 自然界における動物の生態系である。                   終わり