穏念和尚の寺は、下町から少し外れた小高い丘の上にある。年季が入った木造建てで、黒い瓦屋根。上空から見ると、寺は正方形を象っており、各の

角から少し離れた所には、亀、竜,鳥、虎の石像がそれぞれ設置されている。奇怪,と言う声と、粋だ、と言う弐つの批評がある。  

 燈牙は,そんな他とはちょっと異質な寺に向かっている石段を一歩一歩上がって行った。

  辺りには、腰の辺りまで伸びた雑草が生い茂っている。虫の羽音が、ちらほらと耳に入ってくる。それが,夏,と言うシチュエーションによく似合っている。

が、千を越える石段を上っている燈牙にとって、そんなものはうざったらしい以外の何でもなかった。  

 急に,視界が開ける。古木は濃い茶色をしており、それが背景の蒼空に非常に映える。

  常人なら,素直に『美しい』と感じるのだろうが,今の彼には忌々しいことこの上ない。気候のせいも在ったが、それは、一概に隠念和尚に原因があっ

た。  

 和尚は,黒いきものをはおり,頭には白い手ぬぐいを巻いている。中肉中背,男なのに美しい顔立ち。いつも笑顔を絶やさない所が,優しくもあり、奇妙

な所でもある。どの位 笑っているのかというと、目が二つの線に見えるほどだ。

  「…俺,御前がそうやって掃除してる所しか見た事ないぞ…」

  「ははは,偶々(たまたま)ですよ」  

 汗をたっぷりとかいた燈牙の言葉を,隠念はあっさりと流した。隠念は、竹ほうきを片手に、何一つ落ちていない庭を掃いている。

  「で?今日は何の用だ…このくそ暑い中呼び出しやがって…」

  「今後の方針についての話し合いってとこですかね」

  「………その口調もなおらねえんだな…」  

 「昔からの癖,ですよ」  

 隠念は,クスッ,と笑った。  

 燈牙の溜息は、澄んだ蒼空にとけていった。                      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「今後の方針…って事は、如月の野郎も来てるのか…」

  出されたお茶を、寺の広間で飲み干して、溜息混じりに燈牙が言った。和尚はにこッ,と笑い、

  「えぇ,直に到着する筈です」

  「あいつ,普段なにやってんだ?」

  「幕府の隠密です。いろんな話が聞けて,面白いですよ」

  「……っつーか,そんな話して大丈夫なのか?あいつ…」

  「彼,幕府に敵に値する奴はいない、って言ってましたから」

  「へぇ…」  

 規模の大きな話だが、彼らにしてみては世間話に他ならない。俗に『庶民』と呼ばれている人々から見れば,彼らは住んでいる次元が違っていた。なに

せ,彼らが戦っているのは,人間ではないのだ。

 彼らが戦っているのは、『骸』と呼ばれる(彼らが勝手に呼んでいる)怪物達である。西洋風に言えばゾンビ。何者かに召喚,という形を取られ、望んだに

しろ強制にしろ、現世に降臨し、破壊,殺戮を繰り返している。この異変にいち早く気付いた隠念は、竹馬の友であった燈牙に協力を依頼していたのだっ

た。

  「で,用事って?」

 「今晩は,何だか覚えていますか?」

  「今晩…?」

  「前々から決めていた、『骸狩り』の決行日ですよ」

  「あ…」

  「案の定、すっかり忘れていた様ですね…」

  「覚えてたって。ちょっと頭の中になかっただけで…」

  「それを世間一般では忘れた,と言うんです」  

 和尚の溜息混じりの声が、燈牙に振りかかった。

  「今晩,余計な予定は入っていないんでしょう?貴方の事だから…」

  「言ってくれるな,その通りだけど」  

 勝ち誇った顔すら浮かべる燈牙を見て,和尚は内心穏やかではなかった。

  「『骸狩り』というのはですね、最近巷に現れる様になった『骸』どもを一斉に狩りだしてしまおう,と言う計画です。思い出しましたか?」

  「おう、たった今、な」

  「しっかりお願いしますよ本当に…貴方は数少ない戦力なんですから…」

  「そうは言うけどな…昨晩だって一匹退治したぜ,俺は」

  「そうです,貴方はそれだけの能力を持っているんですから、お願いしますよ…」

  「解ったって。ったく…」

  「相変わらず、だな」  

 気配を消して,天井裏に潜んでいた如月が,嘲笑混じりの声を上げた。和尚は不安のその顔に露にし、燈牙は殺気を剥き出しにした。

  「手前もな」

  「笑わせる」  

 如月の短い言葉は、燈牙の嫌みったらしい言葉を遮った。刹那,天井で爆発が起こる。  

 爆煙の中,黒ずくめの男性の影が現れた。唯一露にされているのは、鋭い黒瞳と短く纏まった頭髪だけだ。忍びに相応しい,引き締まった肉体だ。  

 燈牙は刀を手に取り庭に逃げ、和尚は後ろに跳び,爆発と距離をとった。

  「修理,してもらいますからね…」

  『黙っていろ』  

 如月と燈牙の声牙,綺麗にはもった。                          

 

 

 

 

 

 

 

 炎天下、燈牙の太刀筋は、くないを手にした如月を追い込んでいた。人間業とは思えない迅さのそれは、如月を完全に防御側にまわした。時たま散る

火花が、その壮絶さを露に、より確かなものにしていた。

  「相変わらず,がさつな斬激だ」

  「それに,貴様は圧されているのさ」  

 如月が,刀を捌き損なった。正確には、如月すら返せない斬激を燈牙が放った。この機を逃す燈牙ではない。

  「もらった!」

  「笑止!」  

 燈牙の,気迫の篭った袈裟斬りを、しかし如月はかわし、逆に隙だらけになった燈牙のみぞおちに膝蹴りを入れる。吐き気を感じた燈牙はそれを堪える

のに必死で、懐に伸びて いた如月の手と,それに握られていた火薬玉に気付くのが遅れた。この時,既に如月は燈牙の背後にいた。

  ぼぅん。という鈍い音と共に、燈牙の胸部に爆発が起こる。威嚇用だったそれは胸を火傷させ、蒼色のはかまを少し焦がした。  

 この機を逃す如月ではない。燈牙の米神に、彼は回し蹴りを放った。  

 溜まらず燈牙は地面を舐めた。  

 見下すかの様にして,如月が声を上げる。

  「まだまだ詰めが甘い。よくそれで今まで生き延びられたな」

  「大きな御世話…だ…」

  「これで,貴様の七連敗だ」

「御祭り騒ぎは終わりましたか?」  

 縁側で,最中(もなか)に手を伸ばしていた和尚が声を上げた。如月は

  「天井の修理は,敗者に任せるとするか」

  「……………木材は,どの位必要だ?」  

 燈牙の声は、恐ろしく沈んでいた。                          

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天井の修理が終わった時には、既に日が傾いていた。燈牙が家路についた時には、星達   が空に煌いていた。

  「ただいま」

  「お帰りなさいませ兄様」  

 燈牙の疲れきった声に答えたのは、淡々とした明華の言葉だった。その言葉に隠されたもう一つの言葉は、『豆腐はどうしました?』、だった。  

 それを読み取れないほど仲の悪い兄妹ではない。燈牙はそれに気付いた時、硬直した。  

 そんな兄を見て、明華は眩しいほどにっこりと笑い、キッパリと言った。

  「兄様の御食事はあれでしたので,兄様の夕食は用意していません」

  「な…」                          

 

 

 

 

 

 

 決意に目を光らせた隠念和尚、闇に紛れる如月、そして空腹の燈牙が、今宵、荒らしを   巻き起こす。

 

 

 

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