「ま、暫くは絶対安静ですね」
包帯でぐるぐる巻きになって、布団の上で横になっている燈牙に,隠念は強い口調で言った。
「有難うございました,本当に」
明華は,何度も何度も頭を深く下げ、そう言った。
なにせ彼女は、追い出した兄が,絡まれている所にたまたま通りかかった隠念に助けられた,と燈牙から聞いている。兄のことを大切に想っている明華は、兄が怪我をしたのは、追
い出した自分の責任だと思っているのだ。それを考えないほど鈍感な娘ではない。
隠念が『骸』との戦いをあえて隠している理由は、明華の性格を知っているからだ。優しい,兄思いの明華のことだ,もしも昨晩の激しい戦いのことを知れば,涙目になって兄を止める
だろう。
「では、私はこれで」
隠念は出されていた緑茶を飲み干し,席を立った。
玄関で草履を履き,隠念は自分の寺へと向かった。その後姿は、明華の目にはさぞ大きく見えたのだろう。
隠念の姿が見えなくなってから、明華は兄の枕もとに正座し、唇を噛んだ。
兄は,疲れきった身体を癒す為か,はたまた妹の泣き顔を見たくないがための、狸寝入りか、静かに両目を閉じてていた―――
丁度その頃―――
「先輩!」
「遅い…」
茜色を基調とした着物に身を纏った円の呼びかけに、灰色の着物で身を飾った如月は小さく呟いて答えた。
「すいません!」
「ま、遅れることは誰にでもあ」
「私の分しか、おそばありませんでした♪でも、とっても美味しかったです!」
「……」
如月は,言葉を失った。
彼等が訪れているのは,燈牙の住んでいる街の港である。昨晩の仕事を終えた後、円が如月にねだったのだ。『人ごみは嫌いだ』という如月の意見を聞いてはいるのだろうが、円は
目を光らせて,計画を如月に圧し付けた。これが天然の恐ろしい所である。その無邪気な願いを断れるほど、零着な如月ではなかった。
「…蕎麦も食べたし,帰るか?」
「待ってください,あの人ごみはなんですか?」
如月の言葉を振り払い、円は人ごみに向かって走っていった。
如月は、近くにあった壁により罹って,その姿を見た。
その時、
「いつの間に女なんかかこったんだ?」
「そんな高級なもんじゃない」
「はは、さしずめ“子守り”ってとこかい?」
「そういうことだ」
如月に話しかけたのは,みすぼらしい老人。茶色の布キレを着、背は低く、目は細く,顔はしわくちゃだ。一見すれば一般的な老人なのだろうが,何処か違う雰囲気を持っている。
「最近,音沙汰がないから心配しとったぞ」
「取り越し御苦労だったな」
「心配しておるぞ,睦月(むつき)も,さ…」
「解った。以後連絡はこまめに取ることにする」
老人は溜息をついた。
「で、それを言う為に,わざわざそんな格好までして,身にしみる潮風に身をまかせているのか?」
「冗談」
「早く済ませろ。こっちには子守りがある」
「依頼だ」
如月が,眉をひそめる。
「…“月下”でか?」
「そうさ。しかも,御前がいないと成り立たん仕事だ」
そこまで聞いて,如月は自分のほうに向かって全力で走ってくる円に気がついた。
「あ…」
「どうした?」
「後ででいいか?どうやら時間だ」
「フン,のろけなさンなよ、“参謀長”殿」
「身体は大事にしとけよ、“斬り込み”老人」
痰をひとはき、老人は街中に消えていった。
如月は,その姿を見ていて、目の前にまで迫っていた円に気がつかなかった。
「先輩?先輩!!」
「んあ?あぁ、どうだった?」
円は目を光らせて
「それがですねぇ、異人さんと,知り合いになっちゃいました!!」
「は?」
飛び跳ねて喜ぶ円の後ろには、一人の異人。
その男は,見るなり如月に言葉を投げた。
「日本人にしては,なかなかいい顔立ちじゃないか」
男の髪は長く、腰まで届く。色は,黄金色。青い両眼。それらによく似合う、整った顔立ち。白を基調にし,赤のラインがはしっている鎧を纏っている。そして目をひくのは、背中に担が
れた巨大な槍。先端は斧状になっている。ハルベルト,という奴だ。そして,それを所持するのに相応しい肉体。
「この人が如月さんですよ、ジークさん!」
男の名は,ジークといった。
――出来る…!
如月は直感した。長年の感覚,経験を総動員し。
「ん〜?どうした,反応しろよ、YELLOW MONKEY」
「何…?」
「おッと,失敬。日本人には難しかったな」
「何だと…?」
「あ〜!!」
如月とジークの間を制したのは円だった。
「お二人,仲がいいんですね〜,初対面で見詰め合っちゃって♪」
二人は,にらみ合ったまま動かなくなった。
「で、ジーク殿とやらがこの俺になんの用だ?」
腕を組んで,不機嫌そうに如月は言った。言葉を投げられたジークは、円におごられた団子に舌鼓を打っていた。円はジークの隣に座り、如月は壁によりかかっている。
港から離れた,ちょっとした下町にて。
「宿を,探しているんだ」
「はぁ?なんでそんなのを俺に…」
「忍びなんだろ?君は」
如月に殺気が篭る。無論,自己紹介などはしていない。
「そう怒るな。あまり人目につくところではやばいんでね、君の様な逸材を探していたんだ」
「何故俺が忍だと…?」
「ミス、円から聞いたよ」
刹那,円は痛いほど,如月の視線を受けた。
「だって…普段は何をしてるんだ?って聞かれたから、『忍ですッ!』って…」
「緊張感を持て」
如月は短くそう言った。円は,少し静かになった。
「喧嘩は止めてくれないか、そんな暇はないんでな」
「貴様に教える宿など,あろう筈があるまい?」
「なら、ち」
ジークが言葉を吐きかけたその時、
ずどおおおおおおおおお
遠くで爆音がした。
如月の顔から,血の気がひいてゆく。
「あそこは…燈牙の家!」