「困ったことになった、ハンス」
船に戻ったジークは、宣教師ハンスに声をかけた。そして,先ほどあった事を彼に語り始めた。
オールバックの黒髪、眼鏡、白と緑を基調としたローブ。背がやや低めで、やや痩せ気味なのは、30年という長い年月の半分以上を学問に告ぎ込んできたからだ。
「ああ。予想外れもいい所だ」
ハンスはパタンと本を閉じた。漆黒の瞳は,まるで船の床の深海を見ているかのようだ。
「で?“トウガ”という青年とは会えたのか?」
「床に伏せていたらしい。会えなかっただけじゃない、彼の家も潰された」 「成る程、全くのゼロからのスタートに戻った訳だ」
「そうでもないさ」
「?何か解ったのか?」
「SAMURAIに会えた」
ジークは胸を反らして言った。
「それはよかったな」
ハンスは冷たく言い捨てた。
「ないな」
「ありませんね〜」
如月は、合流した円と、燈牙家の瓦礫をあさり,二人の遺体を探していた。
しかし,出て来たのは胴体が千切れた,蛙の欠片だけだった。
「……望み薄か」
「諦めるんですか?!」
如月の呟きに、円は強い調子で答えた。
そのようなやり取りが,早三回ほど続いている。その度、如月は歩き出し、円がその後を追った。
しかし,如月は半ば諦めていた。何せ,『蛙』を退治してから少なくとも四時間は経っていた。それほど広くない燈牙の家,そして吹き飛ばされた瓦礫を調べるとしても、成人の体力
なら二時間で済む。それを、常人とははるかにかけ離れた洞察力を持った二人が、倍の時間をかけて探しているのだ。普通ならとっくに『無理』という判断ができるのだが、円がそれ
を許さなかった。
円とは一度、それもほんの少し会っただけの燈牙、彼女との直接の面識は勿論ない明華。
何故、彼女はそんな二人をこんなに長く捜し続けるのか。
それは、名前、個人と言う固有名詞ではない、『人間』を愛する円ゆえの行動だった。
彼女の過去には,ここでは触れないが、そう決心させるだけの過去があった。
とにかく、今回始めて如月は反抗した。
「だがな、これだけ探して出てこないってのは、いささかおかしいと思わないか?もし,あいつ等がいるのなら,とっくに出てきている筈だ」
「だからって!」
「諦めるのと判断するのは違う!」
円は言葉を失った。
少しして,彼女は下を向いた。
強く手を握り,唇を噛み、肩を震わせ始める。
「そういえば、隠念はなんと言っていた?」
如月は,あくまで冷たい口調で言った。言葉の裏には,うんざり,という言葉が見え隠れしている。
「和尚さんのところに行ってきました」
円の声は震えている。
「明らかに,誰かが故意に呼び出した骸だそうです」
「それだけか?」
「呼び出した人間を,探す、だそう,です」
「そうか」
言い捨てて,如月は町外れの方に歩きだした。
頬を濡らした,円を残して。
「誰ですか…?」
寺の広間に座っていた隠念は、後ろを振り向いて言った。表は,既に暗い。
そこにいたのは,紅い法師服を着た小柄な女性。やや細った顔立ち、そこに見える筈の眼は、金髪で隠れてみることができない。左手が、微かに青白く光っている。
『私は,貴方に呼ばれた者』
異国語である。
『私は,貴方を呼んだ覚えはありません』
隠念は,その言葉で答えた。
『お引き取りください。生憎私には,子供と相手する時間はありませんので』
『其方にはなくとも、こちらにはある』
『お門違いですね。私が呼んだのは、侍です』
言って隠念は目を反らし、瞑想を始めようとした。
刹那、
『我招くは神罰の雷!』
女性の手から、光りがバスケットボールほどの大きさになって隠念の背後に襲いかかった。
隠念はそれを背中に食らった。そのまま、前方にあった仁王像に叩きつけられる。木造の仁王像は粉々に砕け、埃の煙を上げた。
女性は敵意を消さない。手応えを感じられなかったのだ。それどころか,殺気が広がってゆく。まるで、寺全てが女性に敵意を向けているかのように。
そして,それが女性の背後に現れる。
『なるほど、おかまいなしですか』
『!!』
女性は冷や汗をかいた。凍てつくほどの殺気が,彼女に襲いかかったのだ。常人なら、恐怖故こと切れていたかもしれない。
女性は大きく飛び下がりながら隠念の方を向いた。隠念の黒い法衣には、全く傷がついていなかった。
『思い出しましたよ、堕天使、エリーさん』
『やっと思い出したな…』
『ええ。故に、このまま下がってもらう,というわけにはいきません。御了承の上だとは思いますが』
『無論。この身が再び潰えるまで、私は消えるわけにはいかない』
隠念は鼻で笑い、
『なら』
小さく言い,走った。それこそ風の如く。
全ての体重をかけた隠念の掌底突きは、あまりの速さに驚いていたエリーの鳩尾に綺麗にはいった。
『今すぐ消えることになるでしょう!』
宙に浮き、吹き飛ぶエリーの身体に、隠念の術が叩き込まれる。
「不浄を滅すは怒涛の業火!」
ぼうんっ
女性の真下から吹き上げた炎は、うねりを上げて女性を包む。一瞬だったその炎は消えるが、女性は手や顔に火傷を負い、その場に倒れ付す。
隠念は彼女の頭を踏み、言葉を続ける。
『ほぅ、耐熱性ですか、その法衣は。しかし、使用者の器がこの程度の速さについて来れないものでは、ねぇ』
『…くっ…!』
『無様な姿ですね。あの時と同じだ』
『黙…れ!』
『“寝起き”では大変でしょう?日を改めたらどうです?私は構いませんよ』
『………』
『私はもっと,強くなった貴方を叩き潰したい』
『…………絶対に,殺してやる、クソ坊主!』
女性の身体は,その言葉を最後に,青白い光りとなって空へと消えた。
隠念は溜息をついた。が、それは水を得た魚が、喜びに満ちた時のようなそれだった。
その時,彼は背後に人の気配を感じた。
「隠念さん!」
隠念は,我が目を疑った。
明華だった。
「よう,如月」
月明かりを浴びて、歩く如月に声をかけたのは、昼間の老人だった。
「長月か。仕事内容の説明、だな?」
「御名答」
そこで長月は、如月の心が沈んでいるのに気がついた。口調から大体それが解る。
「ん?嬢ちゃんはどうした?」
「余計な御世話だ」
「ははぁん、さては痴話喧嘩でもしたな?」
「帰らせてもらう」
「冗談,冗談だよ!」
慌てて長月は如月を呼びとめた。如月は,明らかに不機嫌といった様子だ。
「早めに頼む。今日は少し呑ろうと思っているんでな」
何があったかを聞こうとしたが、長月は如月の憤怒を察知し,止めた。
「ま、早い話が暗殺だ」
「誰の?」
「隠念とか言う,和尚さんだ」
如月は、片眉をピンとはねあげた。長月は、その様子を見、
「どうした?」
「いや、なんでもない。依頼主は?」
「残念ながら,儂(わし)も知らされていないんだ」
「ほぅ…決行日は?」
「焦るな。先ずは,皆で話し合いがある」
「フン」
如月は歩き出した。慌てて長月は並び,歩き出す。
「今まで,そんな習慣はなかった。どういう事だか説明してもらおうか」
「皆,御前さんの顔を見たがってるんだよ」
「ふざけやがって。寺子屋のガキどもじゃあるまいし」
「ま、そういうことだ。また来る」
言って長月は闇に溶けた。
如月は,残してきた円の事を考えていて、頭が一杯だった。